2010年08月15日

寸評における雑感

昨日のコンテストでは各学校の演奏後に審査員が演奏に対しての寸評をする。そこで著しくひっかかたことがあるので敢えて、ここをオフィシャルな場として、個人的な意見を綴りたいと思う。

自分が今回、編曲を担当した2校のうちの一つ、青山学院大学ロイヤル・サウンズ・ジャズ・オーケストラでの審査員のコメントについて。

この学校は昔からギルエヴァンスオーケストラの曲を中心に演奏してきている。一般的にギルのスコアはレギュラー編成のビッグバンドとは違い、トロンボーンが少ない変わりにフレンチホルンやチューバが
入っていたり大胆にシンセサイザーをサウンドの要にしていたりするため、どうしても異端児扱いをされてしまうことがある。しかも後期のギルのバンドはギルのスコア以上に、各プレイヤーへの依存度が高く極端にいってしまえば、パート譜には書いてない各プレイヤーがその瞬間に出したい音を出すことを許容された「音場」をギルは提供してきた。結果的に同じ曲でも日によって違う展開をして違う曲想になったりする。そういう意味では「予定調和」のビッグバンドとは大きく違う。
初期の作品は常にフロントのソリストを意識しての緻密で且つソリストに最大限の自由を与えるアレンジをギルは作ってきた。それは今回の青学の演奏では「The Duke」にあたる。その前後に演奏した「Subway」や「Foxylady」に関しては後期のギルのサウンドの構築法に基づく演奏だった。
割と今まで彼らの演奏は後期のスタイルでの演奏が多かった為に結果的にユニゾンが多かったりサウンドエフェクティブな部分が多く、捉え方によっては大雑把だったり、フレージングが揃っていないという印象を与えていたし実際そうだったのだと思う。しかし、今回は初期作品である「The Duke」をきちんと初期のギルのサウンドの構築法に乗っ取って作ろうということになり、私も彼らに力を貸すこととなった。その為に、フレージングを揃えたり、タイミングを揃える努力をした。後期の作品2曲に関しても、「The Duke」とは対照的ではあるが同じギル作品であるということの共通項を彼らに伝えたりした。

そこで今回の彼らの演奏に対しての審査員のコメントは「揃ってない方が君ららしい」「ギターが暴れていたFoxyLadyなんかの方が楽しめる」的なものだった。非常に残念。彼がどれだけギルのサウンドマナーについて理解しているかが甚だ疑問が残った。

彼らがリズム、ピッチ、アーティキュレーションを揃えるというアンサンブルの原点にようやく向いて努力し、その成果が出て来たサウンドに対して「揃っていてつまらない。君たちらしくない。」という発言は非常に残念で、同じクリエーターの発言とは思えなかった。悪気はないのは重々承知してはいるものの、やはりギルのサウンドについても、他の部分でも表層的な部分でのイメージで片付けてしまっているようんば気がしてならない。

彼にとってのギルのサウンドを言葉にするならば、後期のギル(マンデイナイト)オーケストラの時のように各プレイヤーが自由にそれぞれのフレージング、フィールでユニゾンを演奏し、アブストラクトなサウンドで、構造も貧弱なもの(カウンターラインもなく)
だと思っているのだろうか?

今回、私の知りうるギル、およびギルの関係者における音楽の作り方、コンセプト、背景を青学の彼らにきちんと時間をかけて説明したつもりで、その結果、ちゃんと「The Duke」に関してはちゃんとギル初期のマナーに乗っ取って演奏出来たと思う。

これだけの団体が集まる中での審査員の発言はかなりの影響力を持つ。だから怖いのだ。だからすかさず、僕は青学の彼らに今回のコメントは気にするなと進言した。

ある意味で、発するコメントの内容で、その人の音楽観、知識、思考の傾向、性格まで見えてしまうので本当に怖い。これは反面教師でもある。

これはあくまでも欠席裁判ではなく、ひとつの警鐘だと捉えていただきたい。

そして最後に、ロイヤルの皆は本当にテキトーでなくきちんと音楽に対して向き合ったことは間違いないので堂々と自信をもってこれからも進んでください。

明治大学BSも然りで、素晴らしい演奏でした。

彼らが皆演奏を練習中から本番まで一貫して楽しんでいたことは、本当に素晴らしいことだと思いました。

これが音楽をする上での正しい在り方だと思います。

僕も負けずに自分に厳しく、音楽を楽しんでいきたいと思います。

お疲れさまでした。




posted by YM at 23:55| 東京 ☀| 日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。