2010年12月12日

オリジナルのすごさ。

先日、クインシージョーンズ編曲のヘンリーマンシーニ作品集のCDを聴いた。
どちらもアメリカの優れた作編曲家で、アメリカの華やかな時代を象徴したゴージャスサウンドを作るのが得意だ。どちらも大好きな作編曲家なのだけれども、この音源は自分にとって響くものではなかった。ヘンリーマンシーニの作品をクインシー色にクインシーが染めていないのだ。何故この作品を作ることになったのか、その経緯を知りたい。

彼らのように作品を日常的に量産するタイプはレコーディングミュージシャンも比較的固定メンバーだったりすることが多い。それは彼らのサウンドは最終的に彼らのスコアを演奏家するプレイヤーに委ねられることになる。そう言った意味で本作もクインシーのブレインのミュージシャンが参加している。しかしクインシーサウンドというよりヘンリーマンシーニサウンドを周到したサウンドには馴染まない感じがした。(もちろん、これはあくまでも私の主観)

作曲家が優れた編曲家でもある人の作品をカバーする場合はある意味、オリジナルの対極を目指さないとオリジナルを越えられないのかも知れない。それはクインシーをもってしてもだ。

バートバカラックの作品をカバーするのも同様だ。

私はヘンリーマンシーニもバートバカラックも彼ら自身が編曲家し演奏しているテイクが一番好き。



posted by YM at 16:29| 東京 ☀| 思ふこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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