2017年05月16日

例えスタイルが「破壊的」だったり「アバンギャルド」でもやはり「品」のあるものが好きだなぁ。
とても整っていても「品」のないものは嫌だなぁ。「品」って訓練して身に付かないような気もする。でも努力する価値もあるとは思う。
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2017年04月08日

コピー

ボクが20代後半の時に沢山コピーして練習したJ.J.Johnsonの中でもとりわけ勉強になったのはこのパーカーのトリビュートコンサートのブルースです。当時は音源しかなかったのですが、何と映像もあるとは!(すでにYouTubeにて削除済み)
映像を見るととても参考になりますが、気をつけないとそれを見て「全てを知ってしまう」というご認識を生んでしまいます。
最初に音だけ聞いて、それを採譜して、それを練習して、それをCDと一緒に練習して、それを分析したというプロセスを経てから映像を見るのとは得るものが雲泥の差だと思います。
YouTubeって本当に便利で助かるけど、それだけが情報のソースだとやはり危険。
自分で先ず「推察」するという行程が必要だと思いました。

達人の基本は「静止映像」のようなフォームで視線が一点を射していること。


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実際に見てみないと分からないこと沢山。

クリフォードブラウンはあの太い音で皆は大きなマウスピースだと思ってたら意外に小さいマウスピース。ジェリーヘイのセクションだったトロンボーンのビルライケンバックも然りであんな太いだから太管の楽器かと思えばとても小さな細管Bach6。
音量に関してだとサックスのジョーヘンダーソン。あんなに太くてダイナミックなのに生音小さい。ベルをマイクにはりつくようにして吹いてるからああいうカンジになるとの知人の弁。
僕らが目標にしてきた欧米のホーンセクションも日本のそれとは違って、もっと柔らかくてファットで沢山倍音があって響きがある。
CD化されたセクションの音は演奏後にコンプレッサーやリミッターなどの電気的後付け処理が施されているので生音のそれとは違う。だからCDの音を聴いて全てを判断するのはかなり危険。サンボーンさんはその最たるケース。
やはり生で聴かないとね。その空気振動を共有しないとね。
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こたえ

答えがひとつしかないという発想が可能性を閉ざすのかもね。
答えをひとつにすると「管理」が楽だから知らないうちに何でもかんでもそういう風潮になるのかも。
「音楽」なんてのは答えが無数にあるから成立してるしね。そうじゃなければ音楽が「運動競技」のように「勝ち負け」という括りで評価されてしまう。
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演出

世の中、間接的にキャッチする情報は大なり小なり「演出」されていて、この「演出」というフィルターを通してそれを触れて、それを感じ、それを認識する。場合によっては「事実」と反した印象を、生み出す「演出」も少なくない。厄介なのはこの「演出」された情報が対面で伝わるならまだしも、ネット上にばら撒かれることでそれが恐るべき速さで広範囲に伝播されてしまう。

情報量が多い中では「真偽」を見極めながら、自分の必要なことを取り出す能力が今の世の中には必要不可欠。

SNSを通じて驚異的に多種雑多な方々とオンライン上で繋がることが出来て、とてもいいことだと感じるとともに、オンライン上だけの情報でその人のパーソナルやスキルのイメージを無意識のうちに固定化してしまう怖さがとてもあるのが恐い。

出来る限り自らのフィールドワークをするべきだと痛感。特に人とのコミュニケーションは対面に越したことはない。その人の「音楽」も言わずもがな。

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ソロパフォーマンスのやりかた

ここ数年続けているソロパフォーマンスにとってルーパーは必需品。予め仕込んでおいた音を再生したり、即興的に思いついたフレーズをその場で録音したり、それらを演奏中にミュートしたり音量やパンを変えたり、エフェクターを通したり。流石に場数を踏むことで色んなアプローチが出来るようになったが、基本は一定のビート、小節というグリッド上で「楽音」を奏でている。
場合によってはもっとSE的なものを素材として使ったり、テンポのないもの、テンポが揺れるものなんかをループしたら面白そう。でもこういうアプローチで決して「ノイズミュージック」にならないことが自分の嗜好。
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2017年04月07日

「集中」「分散」

色んなことに於ける「集中」「分散」する、させるということをじっくり考えてみる。
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「巨匠」の共通点

有り難いことに音楽の様々な分野の「巨匠」の方々と共演させていただく機会に恵まれているのですが、その方々のいくつかの共通点を自分なりに発見しています。
その1つが、その方々のキャリヤ初期には自分に対する投資を積極的に行なって自分の興味のあることをキャッチするための「アンテナ」の感度を常に高めていて、それら情報を一旦自分に取り込んで「自分」のものとしてアウトプット出来るようになって世間が認めたあたりから、意識的か無意識的なのかわからないけれども、インプットにおける選別機能の強化で制限をかけるのか、「アンテナ」の感度を弱めているというカンジがする。
いずれにせよ、あることを持続するための「体力」は加齢によって弱まることは明白で、逆説的に言えば、いかに短期集中するために、それ以外の時間を「楽」に、あるいは「緩めて」過ごせるかにかかっているようにも見える。「OFF(休日ということでなくあくままでも精神的な)」を作るのがあまり得意でない自分にとっては耳の痛い話しでもあります。
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今を一所懸命生きないとなぁ

ボクが「音楽」に偏ることなく向き合うことが出来るようになったのは20代後半に「じゃがたら」というバンドに参加したことが大きなきっかけだ。バンドとしてのサウンド、エンターテインメント、ポピュラリティのバランスが良くなり、さてこれからだ!というタイミングでメンバー3人が亡くなってしまうわけだが、その時にボクの喪失感といったらない。
この身近な仲間が志半ばで逝ってしまうという状況の中、色んなことを考えた。
「生」を受けたものはいずれ必ず「死」という現実を免れることは出来ない。やはり生きているうちに自分のやりたいことをやっておくべきだと常日頃から思っている。知人の訃報を聞く度にそう思い、それをこういったポストに書き記している。書き記すことで自分に対してそれを言い聞かすという意味が大きいのだと思う。
我々表現者は自分の死後も、自作や記録メディアに遺されたパフォーマンスが自分の分身、また子供としてフォロワー達に影響を与えることが出来る可能性を持っている。それはとても有り難いことだ。
でもやはり自分が生きている間に、そういう「実感」を味わいたい。
いいものを「遺す」という意識も大事だけれども、やはり常に「今」を懸命に生きないといけないと思う。(まぁ、「今」を懸命に過ごすことでいいものを「遺す」という結果を導くことになるのですが)

いずれにせよ、焦らず、今を一所懸命生きないとなぁ、せっかく奇跡的に51年間も「生かさせて」いただいているのだから。

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2017年04月06日

「あーもうどーでもいいや」

時と場合によっては「あーもうどーでもいいや」っていう風に思うことが出来るテクニックはやはり必要なんだなぁと。
(バカ)生真面目(堅物ともいう)故に、そこが欠落気味の私。物事に対してマクロ、ミクロ、両方の観点で見ないと実像を掴めない。

人それぞれ価値観が違うということをついつい忘れてしまう瞬間がまだある。相手に対して、自分の価値観の押しつけは必ずしも
それがその人にとって正しいわけでもなく。まぁ何でも「押しつけ」られて気持ちのいい人なんて誰もいない。

老眼は目の焦点を合わせる筋肉の力の低下が原因らしく、それを
防ぐ為には交互に近くを見たり遠くを見たりすることでその筋力の低下を防ぐことが出来るそう。

長時間、PC作業をする為に最近ではPC眼鏡を着用しているが、試しに眼鏡を着けずに作業したらめちゃくちゃ目が疲れた。知らないうちにPC眼鏡を着けているということが当たり前のことのようになっていると感じた。

大概のことは正反対のものと1つの対になっている。その対になっている対極のどの位置にそれらがあるかだけのこと。これはとても相対的なこと。

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「閉じる」

人との「出会い」や「別れ」のタイミングや順番によって、その人生は多く変わるのだなぁと。それを「縁」と片付けてしまえばそれまでですが。

いずれにしても自分自身が「外」に対して「開いて」いないと「出会い」はないし、本来入って欲しいものが、あちらから入ろうとしているものをわざわざ自ら逃してしまう。
無理に引き寄せようとするよりも自らが「開いて」いることが大切。

また「閉じる」ことで自分のものを守ろうとしても自分にとって大切なもの失うものは失うし、去って行く。

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【備忘録】

(演奏に関して)
自分の力3割程度使わずに7割で演奏する方が音色、音質、ニュアンスがより良く発揮出る。
それゆえに絶対量の底上げが必要。

(編曲に関して)
編曲する時に最も大事なのは幾つかの選択肢の中から最も適した「音」を選びプレイヤーが演奏することをワクワクさせるスコアを提供する。(プレイヤーが楽しめずに奏でた「音楽」をオーディエンスが楽しめる確率は極めて低いと思う)

選んだ「音」が本当に必要なのか?を常に問う。
理論上間違っていないものが全て「正解」とは言えない。
スコアに書かれたその音に「必然性」がないと、それは最良の「選択」とは言えない。

過去の優れた編曲者は皆、小編成ででも和声の豊かな立体的なオーケストレーションをし、プレイヤーに演奏することをワクワクさせるスコアを提供する。こういうプレイヤーの「気分」が全体の演奏に多く反映される。「おれ一人くらい、このパートを演奏しなくても体制に影響ないんじゃない?とプレイヤーに思わせるスコア書いてはいけない。


一般的な「禁則」を破るアレンジは、それらを熟知した上で敢えて書く場合と、それらの知識を持たずに書いた場合では全く意味合いと結果が違ってくる。
例えばそれを演奏するプレイヤーとの信頼関係、それに伴う「出音」が。
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「がならない」こと、そして「おおらかに」

貞夫さんのビッグバンドに於いて、常に貞夫さんがメンバーに対してディレクションすることは一貫していて、音量が大きくても「シャウト」しないこと」「がならない」こと、そして「おおらかに」。
それらを留意して演奏すると自然と無駄なチカラが抜けて音が「響く」ようになると実感します。

毎回、貞夫さんのカウントによって曲がスタートするのですが場合によってはかなり同じ曲でもテンポが違うカウントになったりします。
特に今晩演奏した「Eye Touch」は今までにない程のスローテンポでした。普通は曲のイメージが大きく変わってしまって良さが半減してしまいのですが、今回のイエロージャケッツのリズムセクションはカウント時と同じテンポでそのテンポでの最適なグループを提供することでこの曲の新たな魅力的な表情を見ることが出来ました。このカンジがとても「Jazz」だと感じました。

レパートリーの殆どが貞夫さんのオリジナル曲でしたが、貞夫さんのメロディがテンポを限定しないフレキシビリティ溢れる曲だからというのも大きな要因かも知れません。

ブラジルテイストの「Simpatico」での貞夫さんのビートよりもちょっと早いタイミングで歌うのは、正にジョアンジルベルトの「あれ」と一緒。(歌う=レイドバックする)の反対のアプローチです。

まだまだ学ぶことが尽きません。

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アレンジ法

あながちセオリーから外れていても、いい音がすることもあるのでとても面白い。内声を演奏する人の気持ち、モチベーションにフォーカスするともっともっとメロディックな内声が書けるはず。
和音の機能について話をしていくと必ず「緊張」と「緩和」、「安定」と「不安定」という表現になる。
これって音楽に限らず日常生活においても同様に当てはまるセオリーだと常に思うのです。「バランス」「力学」
実に面白い。
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建築と一緒

レコーディングしたものを違うバンド編成にリアレンジする作業をするのですが、こういった作業をするたびに、「建築」と同じようにベイシックをきちんと作っておくことがとても大切だ痛感します。基礎工事をちゃんとやっていないとその後の「増改築」でとても苦労したり、場合によっては新たに基礎から作り直さないといけないことにもなりかねません。
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情報量で勝負するんじゃなくて

そろそろ「解像度」を追求するのではなくて優れた墨絵のような単一色でどれだけ「立体的」に表現出来るかを追求する時期にきているような。




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シンプル

それなりに知識を持ってくると知らぬ間に「余計」な回路を通って本質を見失うこと多し。本当はとてもシンプルなことなのに「知識」「情報」が邪魔をしてそこへ辿り着けないこと多し。
金管楽器を演奏することに関しても知識を持たない子供たちの方が素直に「音」を出せたりするのもそれが原因なのだろう。
ミクロな視点でしかモノを見ることしか出来なくなったら一度遠くからそれを見てみると改めてその本質が見えることもあるだろう。
逆説的に言えば複雑に見えるモノをいかにそれを分解して「シンプル」にする能力が必要なのかもしれない。
簡単なことを難しそうに説明するよりも、難しそうに思えることをその知識のない素人に分るように説明するテクニックの方が優れているし、そうあるべきだと常々思う
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結局、音楽も「いい」とか「悪い」とかじゃなくて

それが「好みなのか、そうでないのか」だけのハナシ。
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悪い「癖」「習慣」を直すのはとても大変。

悪い「癖」「習慣」を直すのはとても大変。何しろそれはそこには「思考」などなく無意識で反射的に行なってしまうのだから。
それを正すためには一々シンプル且つゆっくり再確認しながら正していくしかないのだと思う。何事も。

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音楽は空気振動で伝える2

一つ前のポストに関連してですが、マイクを使ってPAするということが必須ということではなくて、マイクを使わざるをえない会場ではマイクも楽器の一部として捉えるべきだということでした。
「音」はいわゆる空気振動です。楽器が奏でた「音」が「空気振動」というエネルギーに換わるので、その振動が伝わらねば意味が無いということですよね。大きな会場であればあるほど、周りの楽器の音が大きければ大きいほどマイクを使ってアンプリファイドすることが必要になるのは当然です。

でも逆に狭いジャズクラブなどは PAを使わず生音で演奏べきだと思っています。この狭い空間でマイクを使わなくてはいけない状態は決して各楽器のアンサンブルがいい状態だとは言い難いと思います。
それはドラマーが大きく演奏しすぎる、ギター、ベースのアンプの音量が大きすぎることに起因することが多いようです。
小さな空間で空気振動を発生させるのと広い空間でそれをするとでは同じ
「音量」で演奏していいわけありませんよね。

ダイナミックスをきちんとコントロールしてるドラマーと演奏すると本当に楽しいですし、イマジネーション、アイディアも演奏中に湧きますし、何しろ疲労度が低いです。

でも自分の発信しているものもの(音、思い)が伝えたい相手(オーディエンス、共演者)に伝わっていなかったら発信する意味がないと思うので伝えたかったら、そのための術をちゃんと身につけておく必要があると思います。そしてそれは状況によってその方法は変わってくると思います。

「生音で空気振動が伝わないような環境、キャパシティの場所であるならば、音を届けるためにPAは必須。だからこそマイクの使い方等含めてそれらの知識を持つことも必須。」という例を挙げましたがこれって自分の何かを相手に伝えるというコミニュケーション論にも通ずるところがあるなぁと最近思っています。

話は脱線気味ですが、私はPA至上主義ということではなく、基本はアコーステック派ですので。(念のため)


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