2013年04月21日

特効薬

何だかんだ言っても最終的には「時間の経過」が最高の特効薬なのだ。

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2013年04月20日

ストレス

生きていると様々なストレスが身に降り掛かってくる。また、自ら自分にストレスをかける場合もある。そして自分も他に対してストレスをかけていることもある。「ストレス」というこの場の響きから「ストレス」=「悪いもの」とイメージ付けされてしまいがちだけれど、コントロールされた意図的なストレスは、その与えられた人に対して、その人の成長を促す効果も絶大だと思う。というか、こういった自他からのストレスなしには成長はあり得ない。とは言え、ストレスを受ける側がそのストレスに対して立ち向かえるだけの体力がないと潰れてしまう。

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2013年04月15日

タイミング

長いこと音楽を通して沢山の方々との接触を持ってきましたが、人との出会いというのは絶対的に「タイミング」が重要だと常々感じていて、尚且つその「タイミング」というのは自分が能動的に作ってもいい結果が出るとは限らず「出会いのタイミング」というのはある意味で「流れ」に任せるしかないようにも感じています。
でも若い頃はそんなことも判らず、最近になってようやくそういう風に考えるようになりました。

「いい出会い」は作り出すものではなく、ある日突然やってくるように思っています。そしてそのタイミングをキャッチしないとそれは自分の前を通り過ぎていってしまうと思います。また「いい出会い」というのは「ヒト」のことだけじゃなく「チャンス」ということも同様に考えられると思います。

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2013年04月14日

分別

日々暮らしていく中で自分にとって「いいこと」「よくないこと」が交差していきます。その度に一喜一憂しているわけですが特に後者に関して打たれ弱い私は他のことにも悪影響が出ていまいがちです。でも最近、自分にとって「よくないこと」を先ず、自分でそれを解決出来ることとそうでないものを分別してするようにしています。自力で解決出来ないことをクヨクヨしていても仕方ないからです。逆に自分に原因がある「よくないこと」は正面から直視して改善すべきことです。逃げてもそれが膨らんでいくばかりです。そしてそれらは何故自分にとって「よくない」ことなのかの分析は以前以上に出来てきているように思います。日々精進ですね。

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2013年03月11日

目の前で起こっている現実

今日で東日本大震災から2年が経つわけですが、この2年間が早く感じるのか、遅く感じるかは人それぞれだと思います。

この震災、そしてそれに伴う人災で被害を被った方々には全く責任がありません。本当に気の毒としか言いようがありません。

ボクが今回これを通して学ばせていただいたことは「現実」を直視して向き合っていくしかないということでした。

改めて被災され亡くなった方々のご冥福をお祈りするとともに、今もなお被災によってご苦労されている方々に向けて力添え出来ればと思います。

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2013年02月24日

存命中にお会いしたかった方々

昨日観に行った映画の主人公「アントニオカルロスジョビン」もそうですが、自分の「音楽」に強く影響をもたらし、彼らの存命中にお会いしてお話を伺うことが出来たかもしれなかった故人の方々が沢山いらっしゃいます。

それは例えば
ギルエヴァンス、ジャコパストリアス、ドングロルニック、アルバートマンゲルスドルフ、武満徹、、、(敬称略)(こうやって挙げてみるとボクが影響を受けているのはプレイヤーというよりは「サウンドイノヴェイター(改革者)」「サウンドクリエーター」に興味が集中している傾向が著しいです)

彼らの名前こそ昔から知ってはいたもの、彼らの音楽に興味を持つ前に故人となってしまうことが自分にとってはとても多く、その後に彼らの周辺の方々と一緒に仕事をさせていただける機会にも恵まれて、彼らの実像に迫ることの出来るほどの情報収集も出来ましたが、やはり直接お会いしてお話ししたり一緒に演奏しないとわからないことの方が沢山あります。実際、JJジョンソンやマイケルブレッカー(敬称略)はお会いする前と後では印象が違いました。もちろんお会いした後の方がより一層彼らのことが好きになりました。またその反面、亡くなる数年前のジャコはかなり精神状態も含め生活が破綻していたそうなので、その頃会っていたら彼を嫌いになっていたのかも知れません。

自分も含めて人の命には限りがあります。ですからどうしても会っておきたい人は早く会っておきたいと思っています。とは言え、どうも生きて行いく中で「巡り合わせ」とか「出会うタイミング」とかがあるようで、
それを無視して「会う」といい結果に導かれないことも多々あるようです。別にボクは「運命論者」というわけでもないのですが何となくそんな風に感じてしまう瞬間も少なくないです。

でもジョビンには会って話しをしたかったし、彼の「音楽」を取り巻く全てを見てみたかったです。それはサンボーン、イヴァンリンス、ランディブレッカー(敬称略)たちと密な時間を共有出来たことがその思いを強くさせています。

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2013年02月16日

遊び心

いろんなレコーディングやサポートのライブに参加させていただいて思うのは、プロデューサー、作編曲家、たちの「遊び心」のある作品、パフォーマンスは押し並べて深みのあるものが多いように思います。
もちろん「遊び心」の上にはベーシックなものもきちんと消化しているという大前提があります。作り手が楽しめてないものはいいものは出来ないとも思います。彼らの指示によって演奏する演者も同様だと思います。それはどんな現場に於いても共通することだと思います。

とは言え、プロである以上「楽しく」演奏するだけではダメなわけで、求められている以上のクオリティを提供すべきですし。現場で楽しければ「やりっぱなし」でいいということとは違うと思っています。レコーディングはあくまでも「記録」の一種なのでそんなことはないとは思いますが。ライブに関して「やりっぱなし」という現場もいまだに多いのではないかと危惧しています。ボクは30歳の頃、サポート仕事以外のサイドメンを全て辞めてしまったのですが、それはそんな風に感じてしまったからです。その頃から20年近く経った今ではどうなんでしょうか?先日のEQplusはまさに「遊び心」満載でとても楽しく且つ自分の改善すべき点を自分で気づくことが出来た現場でした。このような現場に居させてもらえることに感謝です。

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2013年01月05日

きりかえ

物事には追求すれば一層改善されたり進歩することと、追求しても全く改善されないで徒労に終わってしまものの二種類があると思います。こんな性格なのでつい全てのもの(モノ、人)に対して追求してしまうクセがあるので、後者に対して心が折れてしまうことがあります。実は今日もそんなことがありました。今年は客観的に見て改善の余地のないもの、構造的に抜本的な問題を抱えているものに対して、正面から正論をこちらが唱えても無意味であることも多数あるようなので、そういう場合はちゃんと「やりすごす」ようにしないと身が持たないと思いました。こういうことは「相手がありき」のこと、つまり「対(人、物)」とのコミニュケーション(関わり)がある以上ある程度は避けられないことなので、うまく自分をコントロールしないと自爆しそうなので要注意だと思いました。モノによっては「気にしない」という姿勢も有効な手段だと思います。

(て、何のことだかさっぱりわかりませんよねぇ?因みに今日ガッカリしたことはお仕事のことではありません。)

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2012年12月27日

シンプル

わざわざ複雑化したりすることで遠回りしたり疲れたりする事例多し。
現象だけ見ればとても複雑なことをやっていたり難しそうなことのように思えるけど、単体としてはシンプルなものがいろんな関わりを持っているだけの話し。
政治も然り、楽器演奏も然り。
「解」は実はとてもシンプルなところにあるように思う。本質と関係のないことに振る舞わされてはいけない。
場合によっては(いや、その殆どが)本質よりもその周りに付随する本質でないもののほうが「目立って」しまっているのでちゃんと「本質」を見極める術を持つべきだと思ってます。その「本質」こそ、とても「ストレート」で「シンプル」、「普遍的」なものだと思います。

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2012年12月15日

本人次第

自分の取り巻く環境が変わる時って自分を変える絶好のチャンス。更に良くなるか悪くなるかは本人次第。誰にもかならず平等にチャンスがある。それに気づいたり、モノにするのも本人次第。

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2012年09月22日

アドリブソロ

今日は自分の演奏したアドリブソロを採譜してもらったものの校正をしました。というのも最近、専門誌の連載や楽譜の出版で自分のアドリブソロの楽譜を載せているからです。こうやってまじまじと自分の演奏したアドリブソロを譜面で見るとかなりいろんな発見があります。まだアマチュアだった頃、片っ端から好きなプレイヤーのアドリブソロを耳コピして譜面おこしをして分析しました。そこで学んだことが今の自分のアドリブソロに大きく反映しています。私の好きなプレイヤーのアドリブソロの多くはとても理路整然としていてとてもメロディックなものばかりでした。
あらかじめフレーズを考えてからアドリブソロに臨むことはありません。それはその時点でアドリブではなくなってしまってしまうからです。
とはいえ、パーカーやJJに代表されるようなジャズジャイアンツでさえ、いわゆる「常套句」があり、色々なテイクで同じフレーズを使っています。そんな彼らのソロをアドリブじゃないとは言いません。いわゆる、既に頭の中で出来上がっているフレーズをどんな音色で、どんなタイミングで、どんなタイミングで演奏するかがフレーズと同じくらいアドリブにおいても大切なように思います。
現実問題として「Donna Lee」や「Confirmation」を演奏する時にそのリフを越えるようなアドリブは不可能だと思っています。

とにかく、客観的に自分のアドリブソロを知ることで、単なる手癖で演奏している状況よりはいい演奏が出来そうな気がします。

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2012年08月31日

演奏の内容とそれを演る場所

具体的に身の上に何かあったわけではないけれども、演奏する内容によってそれを演奏する場所を的確に選ぶべきだと思いました。ただ何となくふとアタマの中を過りました。

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2012年07月20日

耳に入った言葉をちゃんとアタマの中で漢字に変換してみる

ここのところ、ニュースのトップ項目になるほど中高生の「いじめ」問題がクローズアップされている。さまざまなメディアでコメンテーター達が、これは「いじめ」とは言わないでもはや「暴行」「傷害」「脅迫」事件という言葉を使って指導していくべきだと口角泡を飛ばしている。私もそう感じる。

しかし、「いじめ」という言葉の意味は本来

いじめ(苛め、虐め、英: Bullying)

相手の肉体的・心理的苦しみを快楽的に楽しむことを目的として行われる様々な行為。実効的に遂行された嗜虐的関与[1]。なお、表記については、カタカナ表示の「イジメ」と書かれることも多い。
ということらしい。(wikiより)

肉体的、精神的に自分より弱いものを、暴力やいやがらせなどによって苦しめること。特に、昭和60年(1985)ごろから陰湿化した校内暴力をさすことが多い。(goo辞書より)


そこには既に「暴行」なる表現があるし、いじめる側がその行為によって苦しめられている相手をみて楽しみといったことも付随するのでもはや「暴行」よりもかなり酷く悪質な行為であるのは一目瞭然だと思います。

せめて「いじめ」という言葉を「苛め」「虐め」とするならば、その行為の残酷さを実感できると思います。
例えば、「いじめっ子」と「苛めっ子」とではかなり印象が違うのではないのでしょうか?

「いじめ」ということばの響き(音)の持つ印象でインプットされてしまうために本来の意味よりも軽いように感じてしまうのかも知れません。

同じ言葉でも、それをひらがな表記にしたり、カタカナ表記にしたりすることでかなり言葉の印象も違ってきます。例えば、ひらがなにすると柔らかく、カタカナだと無機質、漢字だと重いというような印象になるように思います。漢字にはちゃんと「漢字」そのものにその成り立ち、意味がきちんと記されているから、漢字を読んでいればそれほど意味が外れていくようなことはないように思います。

またテキスト形式にする際のフォントによってもかなりイメージがコントロールされてしまうと思います。

自分の思いを伝える手段としての「言葉」の適切な選び方、使い方を慎重にしないといけないと思いました。

「いじめ」は「苛め」「虐め」です。



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2012年07月12日

「理想」と「現実」

「理想」と「現実」とは常に開きがあるもの。人はその間に常に板挟み。生涯を通じて「理想」に到達することなど出来ないと思う。勿論、ある程度「理想」に接近することは可能だろう。「現実」に向き合っていなかれば生きてはいけないけれども、やはり常に「理想」を追い求めるという思考は人生において必要不可欠なことなんだと思う。そうしないと何も変わらない。

posted by YM at 02:43| 東京 ☔| 思ふこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

変換する

絵画、小説、はたまたノンフィクションの出来事からインスピレーションを受けて音楽を作ったり、音楽からインスピレーションを受けて絵を描いたり。

何かを見たり、聴いたり、読んだりして感じたことを(視覚から入った情報を聴覚でのアウトプットにするとか)別の方法でカタチにするということは、とてもクリエイティビティの高いことだと思う。

つまり、自分の感じたこと(それが主観的であっても客観的であってもいい)を自分のフィルターを通して別のメディア、基準のものに変換するという行為によって生成されたものは当然ではあるが、インプットされたものとアウトプットしたものとはイコールにならない。この誤差を分析したら自分の中の色んなものが見えてくるような気がした。

posted by YM at 02:35| 東京 ☔| 思ふこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年07月11日

言葉

ふと思ったこと。

自分の「言葉」でちゃんと話そう。

でもそれを伝える為には相手が理解できるような「言葉」を使おう。

どこかにあった「言葉」をそのまま使って話すのではなく、その「言葉」を使いたかったら一旦自分の「言葉」になるまで消化した上で使おう。

重みが違うよ。

それって音楽も一緒。

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2012年07月07日

「利己主義」と「自己防衛本能」

大津・中2自殺に関して次々と情報が出てきている。いじめを苦にしての自殺ということだが、いじめている方が、彼に「自殺」の練習を強要したりしていたり、それを促していたようだ。こういったいじめの事実を担任は知っていて、そればかりか、いじめの行為に関して『やりすぎんなよ』と。現場にいないので、戯れてるだけに映ったという言い訳は通用しないだろう。そして彼の両親は暴行について被害届を出す為に大津署に3回相談したものの被害届を受理されることはなかった。このような結果になってしまったことにおける責任はどこにあるのか?責任追及はこれから進められていくのだろうけれど、正直言って根本的な解決、抑止にはならないと思う。マスメディアが偏向した取り上げ方をすれば、二次的被害も誘発するだろう。今回の件で責任に問われるであろう人たちの誰か一人でも警鐘を鳴らしていた被害者側の声に耳を傾けていたら最悪の結果にはならなかったかもしれない。弱者に向けたこういった事例が多すぎる。

先日、東京電力福島第1原発事故で全町避難を余儀なくされている福島県浪江町は東電と協定を結び、原発でトラブルが起きた場合は連絡を受けることになっていたにも関わらず、当時、東電からの状況説明がなかったにも関わらず、東電は説明したとの虚偽をしていたという疑惑が持ち上がった。

日本人て、いつからこんなに利己的のなっただろうか?

とはいえ、「尖閣諸島」「北方領土」に関しての隣国の振る舞い、発言をみるにつけ、どこも似たようなものだと痛感する。

では、自分は利己的ではないと言い切れるのか?というと言い切れないかもしれない。寧ろ言い切ることが出来るようならば、その時点で既に偽善者になっていると言えるだろう。せめて、他人様にご迷惑をかけないように生きていかないといけない。

「利己主義」と「自己防衛本能」とは全く異なること。

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2012年06月30日

職業音楽家とアマチュア音楽家は両立する

音楽を生業としている以上、クライアントのリクエストに沿ったものを提供するのは義務だと思います。状況によっては双方の価値観が異なることもあるわけで、その場合はクライアントが満足するように努めます。それを「職業音楽家」と呼ぶのでしょう。

「職業音楽家」と「アーティスト」は音楽を媒介にすることは共通するもののと、根本的には成り立ちも本質も異なるものだと思います。

「アーティスト」活動をしたければ、パトロンを見つけて好きなことをやらせてもらうか、自費で好きなことをやるかのどちらかしかないように思います。

前者はある意味「プロ」で後者は「アマチュア」という括りが出来るかも知れません。

ボクは数年前からソロ活動に関してはその後者の選択をしています。別に職業音楽家がアマチュア活動することが矛盾した行為だとも思わないですし、自分が憧れ目標にしてきた前人達もその道を選んでいますし。

要するに「音楽」するのでもクライアントの為に作るものと自分の為にするのとでは当たり前だけど作る時の内容は勿論のこと、環境、状況、結果は違ってきて当たり前のことだと思ってます。

この不景気でクライアントの為に作るものに対してが何かと条件(経済的、時間的な側面)が厳しくなったけれども、自分の為に作ることに関しては逆に作りやすくなったように実感しています。

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職業音楽家のはしくれとして

目の前の音を紡いでいくことで精一杯で、失望したり、落胆したり、憂う余裕は私にはないです。とっても個人主義なのかも知れないのですが、目の前にある「音」と戯れている時、過去や未来の色んな事が見えなくなっちゃいます。(曲を書いている時はその曲が素晴らしい仲間達と奏でていることは想像してますけど。)それが良いことなのか良くないことなのかは自分でもわかりませんけど。
自分が失望したり、落胆したり、憂うことでボクの目指す音楽が作れるとは思わないのです。

posted by YM at 01:40| 東京 ☀| 思ふこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月27日

選択

消去法は合理的で効率がいいけども、その方法論だけで決断すると思いもよらず大切なものさえ外してしまうという危険性を孕んでいる。

posted by YM at 23:36| 東京 ☀| 思ふこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする