2014年01月16日

「動機(モチベーション)」「到達点」「目的」「ベクトル」「フォーカス」

例えばBb7.9.#11.13というコードのPadを重ねて作るとき、構成音の下からBb,D,F,Ab,C,E,Gと重ねていくと比較的サウンドのイメージが湧きやすい。それは響きが「安定」しているところから「緊張」へ向かって行く順番だからだと思う。
3度の「F」を入れてから11度「E」を入れるのは比較的楽だがその逆にテンションノートの「E」から入れていくのはちゃんと和音の最終形が見えていないとなかなか難しい。
Bb7の上に積まれた音3つ「C」「E」「G」はいわゆるCのトライアード。だからといって分母のBbのことをあまり考えずにCのトライアードとしてハモるようにすればいいかといえばそうでもなくて、それが実に興味深い。

とは言え、ビッグバンドの指導をするときにはテンションノートを含む和音を響かせるのは難しいので、その時の構成音を見て、協和音の関係にあるものを取り出してハモりの確認をすることも多い。

シンプルな3和音ならばクラシックを含め日常的にそのサウンドがアタマの中で響かせることは出来るがメジャー(長調)なのに同時にマイナー3度(#9th)の音も含まれる和音テンションノート(b9,#9#11,b13)なんてのはその響きを掴む為にはそれなりにイヤートレーニングが必要だと思う。

ブルーノートスケールに於けるb5の音程の取り方もそう。
このb5の音が次に何処へ向かいたいかということが大事。それは別にb5に限ったことではなくて全ての音に言えることで「どこへ向かいたいのか?」ということが「全て」のようにも思える。
b5がその半音下の 4thにいくのか2thに行くのかで意味合いが違ってくる。(これはジャズインプロバイザーであれば直感的に理解出来ると思う。)

たまたま「音程」について取り上げたけれど、こういう考え方って普遍的なことであらゆることにも当てはまるのではないのだろうか?


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2014年01月05日

【備忘録2】

どうも1つのことに於いてその真逆というか対極にあるものが常に存在しているようだ。というかそれは常にペアになっている。「善悪」「菩提と煩悩」「正負」「緊張と緩和」等。
全てが「対(ペア)」になっているからこそ個々の「価値観」を育むことが出来るのだからそのことに感謝しないといけないと思う。

ヒトに於いてはその真逆通同士のものが同時に混在するもので、いわゆる「自己矛盾」だ。その時の状況によって、その加減が変化する。
自己矛盾について肯定も否定もしないが、そうであるということを常にアタマの片隅に置いておかないといけないようだ。

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2013年12月09日

シンプル

それなりに知識を持ってくると知らぬ間に「余計」な回路を通って本質を見失うこと多し。本当はとてもシンプルなことなのに「知識」「情報」が邪魔をしてそこへ辿り着けないこと多し。
金管楽器を演奏することに関しても知識を持たない子供たちの方が素直に「音」を出せたりするのもそれが原因なのだろう。
ミクロな視点でしかモノを見ることしか出来なくなったら一度遠くからそれを見てみると改めてその本質が見えることもあるだろう。
逆説的に言えば複雑に見えるモノをいかにそれを分解して「シンプル」にする能力が必要なのかもしれない。
簡単なことを難しそうに説明するよりも、難しそうに思えることをその知識のない素人に分るように説明するテクニックの方が優れているし、そうあるべきだと常々思う。

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「やりたいこと」

実は最近「脳」に関する本を読むのが好きなのですが録画しておいたTV番組の中で脳科学者・茂木健一郎「東大入試のような偏差値教育が日本をダメにする」というコーナーが興味深かったです。

その中で「やりたいこと」のないヒトが多いというくだりがあって、ボクには信じられなかったです。もったいないなぁ、せっかく毎日奇跡的に「生きる」ことが出来ているのに。やりたいことを達成半ばで亡くなってしまう方もいるのに。。ボクはやりたいことまだ全部やれてません。何かを達成した瞬間から新たな「やりたい」ことが生まれてくるのです。「やりたいこと」=「目標(課題)」ということかも知れません。

他に、自分の「脳」を喜ばす脳ドーパミン」という神経伝達物質を多く分泌させる方法「今まで自分がやったことのないことをする」「初対面の人と話しをする」ということに関しては、まさにそれに当てはまるようなことを偶然にもトロンボーンとルーパーで1人で2時間強のライブを初対面の地方在住の方のご協力で開催するということをここ1年行なっていたのですが、とても「脳」にも良いことをいていたのだと知りちょっと嬉しかったです。

思えば10代の頃から新しいものに飛び込んで行く傾向は顕著でしたが、その度に初体験故精神的プレッシャーは半端なかったですが、それがあったから今も自分のやっていることに「飽きる」ことなく活き活きしていられるのかも知れません。

生涯「やりたいこと」を持つチャレンジャーでいたいです。それが亡くなった友人達への供養だとも思います。

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2013年07月21日

供給過多

ライブを生業とするミュージシャンにとってライブの集客はその人たちにとっての死活問題なのですが、その為の告知が実に難しい。それは全てのライブがハイライトだから。結果的に地方公演を除いてそれぞれのライブの告知が直前になってしまいます。
ライブ、ミュージシャンの数が多過ぎで飽和状態であるということと、エンターテイメントを含む消費の選択肢の多様化が原因なのかなと。
結果的にイレギュラーで活動するアマチュア演奏家のライブの方が集客がいいという現象が起こります。または沢山生徒を持つ先生主催のコンサートだとか。
こんな状況だから早過ぎるライブハウスのブッキングを躊躇してしまうことにもなっています。(共演してくれるミュージシャンに対してなかなか報酬に関して保障してあげられない)
この状態を嘆いているわけでもなく1つの事実と捉えています。
「供給過多」における原則だからです。
でもこの「供給」に関して果たしてその中身の「クオリティ」は果たして上がっているのかな?と思うこともあり、これに関しては我々は常に意識して向上に努めないといけないなぁと思ったり。(これ自分に向けての独り言ですので適当にながしてくださいね。)

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2013年06月29日

いくさ

昨日は仕事の前にたっぷり時間があったので訪問地である大分中津にある福沢諭吉旧居や中津城に行ってきました。特に歴史好きなわけではないのですが、仕事で訪れる場所にこういった処があるとついつい好奇心が出て行くことが多いです。やはりこういった過去の歴史的なノンフィクションのものに触れると色々考えさせられるます。特に「城」には「戦さ」がついてまわります。城主も含めとてもドラマティックな人生を送っているということがわかります。フィクションのドラマなんて比になりません。
当たり前のことですが「戦さ」というのは無関係な人たちもその大きな渦に巻き込んでいきます。本当に怖いです。「戦さ」というのは常に相対する勢力があるわけで、どちらもそれらの立場の正当性を主張するからこそ「戦さ」が起こるわけです。いまでこそ日本では直接的に生命の危険を伴うような「戦さ」はありませんが、世界レベルで見るといまだに「戦さ」はあるわけで、それはおそらくなくなることはないのでしょう。。

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2013年05月08日

到達点

ボクはあと数ヶ月で50歳を迎えるわけですが、客観的に見て順当にいったとしてももう完全に折り返し地点は過ぎています。とは言え自分の目指しているものはまだまだ遠くにあります。最終的にそこに到達したいのですが到達出来ないかも知れません。否、出来ない可能性の方が高いでしょう。現実的には出来るだけその到達点に近づけるように努力するつもりでいるし、今も努めているつもりです。年齢を重ねる度に、そこに向かう為に必要のないものはどんどん自分自身、自分の周りから排除していきたいという欲求は増すばかりです。そういうことで無駄な時間、エネルギーを費やしたくないと思います。でも生きていく限りにおいては無理なことかも知れません。

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2013年04月21日

特効薬

何だかんだ言っても最終的には「時間の経過」が最高の特効薬なのだ。

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2013年04月20日

ストレス

生きていると様々なストレスが身に降り掛かってくる。また、自ら自分にストレスをかける場合もある。そして自分も他に対してストレスをかけていることもある。「ストレス」というこの場の響きから「ストレス」=「悪いもの」とイメージ付けされてしまいがちだけれど、コントロールされた意図的なストレスは、その与えられた人に対して、その人の成長を促す効果も絶大だと思う。というか、こういった自他からのストレスなしには成長はあり得ない。とは言え、ストレスを受ける側がそのストレスに対して立ち向かえるだけの体力がないと潰れてしまう。

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2013年04月15日

タイミング

長いこと音楽を通して沢山の方々との接触を持ってきましたが、人との出会いというのは絶対的に「タイミング」が重要だと常々感じていて、尚且つその「タイミング」というのは自分が能動的に作ってもいい結果が出るとは限らず「出会いのタイミング」というのはある意味で「流れ」に任せるしかないようにも感じています。
でも若い頃はそんなことも判らず、最近になってようやくそういう風に考えるようになりました。

「いい出会い」は作り出すものではなく、ある日突然やってくるように思っています。そしてそのタイミングをキャッチしないとそれは自分の前を通り過ぎていってしまうと思います。また「いい出会い」というのは「ヒト」のことだけじゃなく「チャンス」ということも同様に考えられると思います。

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2013年04月14日

分別

日々暮らしていく中で自分にとって「いいこと」「よくないこと」が交差していきます。その度に一喜一憂しているわけですが特に後者に関して打たれ弱い私は他のことにも悪影響が出ていまいがちです。でも最近、自分にとって「よくないこと」を先ず、自分でそれを解決出来ることとそうでないものを分別してするようにしています。自力で解決出来ないことをクヨクヨしていても仕方ないからです。逆に自分に原因がある「よくないこと」は正面から直視して改善すべきことです。逃げてもそれが膨らんでいくばかりです。そしてそれらは何故自分にとって「よくない」ことなのかの分析は以前以上に出来てきているように思います。日々精進ですね。

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2013年03月11日

目の前で起こっている現実

今日で東日本大震災から2年が経つわけですが、この2年間が早く感じるのか、遅く感じるかは人それぞれだと思います。

この震災、そしてそれに伴う人災で被害を被った方々には全く責任がありません。本当に気の毒としか言いようがありません。

ボクが今回これを通して学ばせていただいたことは「現実」を直視して向き合っていくしかないということでした。

改めて被災され亡くなった方々のご冥福をお祈りするとともに、今もなお被災によってご苦労されている方々に向けて力添え出来ればと思います。

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2013年02月24日

存命中にお会いしたかった方々

昨日観に行った映画の主人公「アントニオカルロスジョビン」もそうですが、自分の「音楽」に強く影響をもたらし、彼らの存命中にお会いしてお話を伺うことが出来たかもしれなかった故人の方々が沢山いらっしゃいます。

それは例えば
ギルエヴァンス、ジャコパストリアス、ドングロルニック、アルバートマンゲルスドルフ、武満徹、、、(敬称略)(こうやって挙げてみるとボクが影響を受けているのはプレイヤーというよりは「サウンドイノヴェイター(改革者)」「サウンドクリエーター」に興味が集中している傾向が著しいです)

彼らの名前こそ昔から知ってはいたもの、彼らの音楽に興味を持つ前に故人となってしまうことが自分にとってはとても多く、その後に彼らの周辺の方々と一緒に仕事をさせていただける機会にも恵まれて、彼らの実像に迫ることの出来るほどの情報収集も出来ましたが、やはり直接お会いしてお話ししたり一緒に演奏しないとわからないことの方が沢山あります。実際、JJジョンソンやマイケルブレッカー(敬称略)はお会いする前と後では印象が違いました。もちろんお会いした後の方がより一層彼らのことが好きになりました。またその反面、亡くなる数年前のジャコはかなり精神状態も含め生活が破綻していたそうなので、その頃会っていたら彼を嫌いになっていたのかも知れません。

自分も含めて人の命には限りがあります。ですからどうしても会っておきたい人は早く会っておきたいと思っています。とは言え、どうも生きて行いく中で「巡り合わせ」とか「出会うタイミング」とかがあるようで、
それを無視して「会う」といい結果に導かれないことも多々あるようです。別にボクは「運命論者」というわけでもないのですが何となくそんな風に感じてしまう瞬間も少なくないです。

でもジョビンには会って話しをしたかったし、彼の「音楽」を取り巻く全てを見てみたかったです。それはサンボーン、イヴァンリンス、ランディブレッカー(敬称略)たちと密な時間を共有出来たことがその思いを強くさせています。

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2013年02月16日

遊び心

いろんなレコーディングやサポートのライブに参加させていただいて思うのは、プロデューサー、作編曲家、たちの「遊び心」のある作品、パフォーマンスは押し並べて深みのあるものが多いように思います。
もちろん「遊び心」の上にはベーシックなものもきちんと消化しているという大前提があります。作り手が楽しめてないものはいいものは出来ないとも思います。彼らの指示によって演奏する演者も同様だと思います。それはどんな現場に於いても共通することだと思います。

とは言え、プロである以上「楽しく」演奏するだけではダメなわけで、求められている以上のクオリティを提供すべきですし。現場で楽しければ「やりっぱなし」でいいということとは違うと思っています。レコーディングはあくまでも「記録」の一種なのでそんなことはないとは思いますが。ライブに関して「やりっぱなし」という現場もいまだに多いのではないかと危惧しています。ボクは30歳の頃、サポート仕事以外のサイドメンを全て辞めてしまったのですが、それはそんな風に感じてしまったからです。その頃から20年近く経った今ではどうなんでしょうか?先日のEQplusはまさに「遊び心」満載でとても楽しく且つ自分の改善すべき点を自分で気づくことが出来た現場でした。このような現場に居させてもらえることに感謝です。

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2013年01月05日

きりかえ

物事には追求すれば一層改善されたり進歩することと、追求しても全く改善されないで徒労に終わってしまものの二種類があると思います。こんな性格なのでつい全てのもの(モノ、人)に対して追求してしまうクセがあるので、後者に対して心が折れてしまうことがあります。実は今日もそんなことがありました。今年は客観的に見て改善の余地のないもの、構造的に抜本的な問題を抱えているものに対して、正面から正論をこちらが唱えても無意味であることも多数あるようなので、そういう場合はちゃんと「やりすごす」ようにしないと身が持たないと思いました。こういうことは「相手がありき」のこと、つまり「対(人、物)」とのコミニュケーション(関わり)がある以上ある程度は避けられないことなので、うまく自分をコントロールしないと自爆しそうなので要注意だと思いました。モノによっては「気にしない」という姿勢も有効な手段だと思います。

(て、何のことだかさっぱりわかりませんよねぇ?因みに今日ガッカリしたことはお仕事のことではありません。)

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2012年12月27日

シンプル

わざわざ複雑化したりすることで遠回りしたり疲れたりする事例多し。
現象だけ見ればとても複雑なことをやっていたり難しそうなことのように思えるけど、単体としてはシンプルなものがいろんな関わりを持っているだけの話し。
政治も然り、楽器演奏も然り。
「解」は実はとてもシンプルなところにあるように思う。本質と関係のないことに振る舞わされてはいけない。
場合によっては(いや、その殆どが)本質よりもその周りに付随する本質でないもののほうが「目立って」しまっているのでちゃんと「本質」を見極める術を持つべきだと思ってます。その「本質」こそ、とても「ストレート」で「シンプル」、「普遍的」なものだと思います。

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2012年12月15日

本人次第

自分の取り巻く環境が変わる時って自分を変える絶好のチャンス。更に良くなるか悪くなるかは本人次第。誰にもかならず平等にチャンスがある。それに気づいたり、モノにするのも本人次第。

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2012年09月22日

アドリブソロ

今日は自分の演奏したアドリブソロを採譜してもらったものの校正をしました。というのも最近、専門誌の連載や楽譜の出版で自分のアドリブソロの楽譜を載せているからです。こうやってまじまじと自分の演奏したアドリブソロを譜面で見るとかなりいろんな発見があります。まだアマチュアだった頃、片っ端から好きなプレイヤーのアドリブソロを耳コピして譜面おこしをして分析しました。そこで学んだことが今の自分のアドリブソロに大きく反映しています。私の好きなプレイヤーのアドリブソロの多くはとても理路整然としていてとてもメロディックなものばかりでした。
あらかじめフレーズを考えてからアドリブソロに臨むことはありません。それはその時点でアドリブではなくなってしまってしまうからです。
とはいえ、パーカーやJJに代表されるようなジャズジャイアンツでさえ、いわゆる「常套句」があり、色々なテイクで同じフレーズを使っています。そんな彼らのソロをアドリブじゃないとは言いません。いわゆる、既に頭の中で出来上がっているフレーズをどんな音色で、どんなタイミングで、どんなタイミングで演奏するかがフレーズと同じくらいアドリブにおいても大切なように思います。
現実問題として「Donna Lee」や「Confirmation」を演奏する時にそのリフを越えるようなアドリブは不可能だと思っています。

とにかく、客観的に自分のアドリブソロを知ることで、単なる手癖で演奏している状況よりはいい演奏が出来そうな気がします。

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2012年08月31日

演奏の内容とそれを演る場所

具体的に身の上に何かあったわけではないけれども、演奏する内容によってそれを演奏する場所を的確に選ぶべきだと思いました。ただ何となくふとアタマの中を過りました。

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2012年07月20日

耳に入った言葉をちゃんとアタマの中で漢字に変換してみる

ここのところ、ニュースのトップ項目になるほど中高生の「いじめ」問題がクローズアップされている。さまざまなメディアでコメンテーター達が、これは「いじめ」とは言わないでもはや「暴行」「傷害」「脅迫」事件という言葉を使って指導していくべきだと口角泡を飛ばしている。私もそう感じる。

しかし、「いじめ」という言葉の意味は本来

いじめ(苛め、虐め、英: Bullying)

相手の肉体的・心理的苦しみを快楽的に楽しむことを目的として行われる様々な行為。実効的に遂行された嗜虐的関与[1]。なお、表記については、カタカナ表示の「イジメ」と書かれることも多い。
ということらしい。(wikiより)

肉体的、精神的に自分より弱いものを、暴力やいやがらせなどによって苦しめること。特に、昭和60年(1985)ごろから陰湿化した校内暴力をさすことが多い。(goo辞書より)


そこには既に「暴行」なる表現があるし、いじめる側がその行為によって苦しめられている相手をみて楽しみといったことも付随するのでもはや「暴行」よりもかなり酷く悪質な行為であるのは一目瞭然だと思います。

せめて「いじめ」という言葉を「苛め」「虐め」とするならば、その行為の残酷さを実感できると思います。
例えば、「いじめっ子」と「苛めっ子」とではかなり印象が違うのではないのでしょうか?

「いじめ」ということばの響き(音)の持つ印象でインプットされてしまうために本来の意味よりも軽いように感じてしまうのかも知れません。

同じ言葉でも、それをひらがな表記にしたり、カタカナ表記にしたりすることでかなり言葉の印象も違ってきます。例えば、ひらがなにすると柔らかく、カタカナだと無機質、漢字だと重いというような印象になるように思います。漢字にはちゃんと「漢字」そのものにその成り立ち、意味がきちんと記されているから、漢字を読んでいればそれほど意味が外れていくようなことはないように思います。

またテキスト形式にする際のフォントによってもかなりイメージがコントロールされてしまうと思います。

自分の思いを伝える手段としての「言葉」の適切な選び方、使い方を慎重にしないといけないと思いました。

「いじめ」は「苛め」「虐め」です。



posted by YM at 22:03| 東京 ☁| 思ふこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする