2011年04月22日

音場と演奏者

昨日の名古屋2日目は初日に増して音環境が慣れたことで演奏もよりスムーズになった。今日はオフ日ということで、先日もお世話になった地元の楽器屋さんのレッスン室をお借りして練習。実は先日、そこで練習をしていて演奏の調子がなかなか整わず若干心配になった。が、昨日のコンサート会場の楽屋やステージで演奏するとその心配はなくなった。端的に言うならばレッスン室が極めて響きのない部屋だったせいだったからだと思う。楽器を変えてから楽屋とステージという極めて偏った音場でしか演奏していなかった為に異なる音場に対して自分が新しい楽器のコントロールが上手くいかなかったということ。今日も最初は慣れなかったものの後半は順応して、いつも通りにコントロールすることができた。多分、以前使っていた慣れている楽器ならばさほど苦労せずに音場に順応出来たと思う。僕は色んな音場で演奏する機会が多い。響きの少ないスタジオ、ライブハウス、コンサートホール、アリーナ、ジャズクラブ、etc....。知らず知らずに音場によって自分がかなり演奏する際に微調整しているということが、慣れていない楽器を演奏することで実感出来た。そして上手く演奏が出来ていない時は自分のどの部分が欠落しているかもわかるようになったので、ここ数日は勉強になった。いずれにしてもマイクを使う使わないに関わらずきちんと楽器を鳴らすことが重要だ。(自分の場合は)



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2011年04月06日

アドリブだって作曲のうちのハズ。

5年ほど前に書いて簡易的なうち込みをしトロンボーンソロをダビングした曲をリレコーディグする日々。その5年前に簡易的にレコーディングしたトロンボーンのアドリブソロを人に委ねて採譜してもらった。譜ヅラを見ても何かピンとこない。とはいえ、これが自分の咄嗟に作曲したフレーズということだ。譜面にすることでより一層自分のクセがわかる。そして今日はその採譜された楽譜を見て再びそのフレーズをリレコーディグしてみた。実にぎこちない。(笑)とはいえ、演奏中にイマジネーションして瞬間でフレーズを考え演奏することはないので、これまた色んな発見があった。レコーディングを前提とした時、果たして即興演奏というのは意味があるものなのかと常日頃考えるが、自分の出した結論として最終的にソロをダビングするのならば、既にあるトラックに一番フィットするソロを用意していくほうが音楽的であろう、ということ。それはいわゆるスタジオ仕事でもそうで、リズムトラックの上にホーンをダビングする時も、リズムセクションとの相性がいいような演奏を心がけているし、それが一番良心的だと思う。だから状況によっては必ずしも正確なリズム、音程ではなくてもある程度、そちらに合わせることになる。いわゆる整合性をとるということだ。
ダビングが主流となるレコーディングではある意味、先にやったもの勝ちで、つまり後からダビングしていく人たちは先人の音に合わせていくのである意味縛りがキツくなる。とはいえ、最後の最後にダビングする人が全体のイメージを決定したり変えたり、ある種の化学変化を起こすことがある。それは素晴らしく個性的なヴォーカリストだったり演奏者だったり。
それを目の当たりにしたのはSOLID BRASSの「Double Edge」でのデヴィッドサンボーンのチャーリーミンガス曲「Goodbye Porkpie Hat」でのメロディとソロのダビング中のことだ。彼のサックスが最後に入っただけで、そのトラックは全てサンボーン色一色に染まる。これはソリストとしての最も高い目標だと思うしソリストはそうでないといけないとも言える。その時も他の時もサンボーンのソロダビングに何回か立ち会ったが決して即興演奏ではなく、そのトラックにフィットしたフレーズを紡いでいくという感じ。だから何度もやり直す。これはジャズプレイヤーにはない発想で極めてヴォーカリストのようなアプローチだと思う。勿論、インプロヴィゼーションはジャズや現代音楽に於ける最大の魅力であり、最大の芸術だと思う。しかしそれはあくまで同じ時間軸の中で共演者とともにライブすることに尽きると思う。つまりダビングでの即興演奏はあまり有機的でないような気すらする。
というモードに今なっているで暫くこれを掘り下げていきたいと思う。

蛇足ではあるけれど、JJ.Johnsonの大ファンであるのが高じて彼のあらゆる音源を集めていた時期があったが、ライブ盤に関して2コーラス丸々同一のブルースソロが幾つか存在する。だから即興演奏だとは言い難い。(が、JJはそれをボクに否定していたけれども)何もそれが即興演奏でなくても、あらかじめ用意していたといしてもそれを悪いことだと思わない。実際、ジャズ演奏家の殆どはあらかじめ身に付いたフレーズをシチュエーションに合わせて組み合わせりはめ込んでいるわけで、フレーズ自体を即興で考えているわけではないと思うから。そのフレーズの選択のセンスがアドリブプレイヤーのセンスに直結するし、実際優れたアドリブプレイヤーは機転の利くアタマの回転の速い人ばかりだ。

だったらじっくりシチュエーションにフィットしたフレーズをきちんと作曲するばいいのだ。

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2011年02月16日

アタックとアタックスピード

連日のリハーサルも終わりいよいよツアーもスタートするので楽しみ。毎回のリハーサルの音源を聴きつつ自分の演奏に関してあれこれ考えるが、アリーナというとてつもない大きな会場、沢山のエレクトリック系の楽器との共存は面白みもある反面、通常の意識とは違う部分で演奏することも余儀なくされる。我々ホーン隊もモニタースピーカーではなくイヤホンモニターを使用。1人一台づつ自分専用のミキサーがあるために非常に助かる。とはいえ、トロンボーンという楽器はホーンセクションの中でもアタックスピードが遅かったり、音域的に丁度ギターの中低音と帯域が被ることもあって、なかなかトロンボーン単体の音が抜けて聴こえることが難しい。つまりホーンセクションをひとまとめとして考えるとトロンボーンの音が埋没してしまいがちなので、通常のコンセプトとは違ったアプローチを考えないといけない。具体的にはマイクにベルを近づける。(本来、楽器は楽器全体から音を出しているのである意味、ベルだけの音は本来の音とは違うがそんなこと言ってなられない。できるだけ他の楽器の音との干渉を防ぐ為だし、音が聴こえてなんぼなので、これは正しい選択。)そしてアタック。つまり通常よりもタンギング、発音を強くして演奏。そしてアタックスピードを出来るだけ早くすること。
しかしこれはあくまでもコントロール内において意識的にしないとマズい。というのも他のジャンル、環境では異なるからだ。無意識に強いアタックしか出来なくなるのはかなりヤバい。それ故に、ノータンギングや小さい音量の練習は常に並行しておかないと他のジャンルのものに支障が出る。

ぶっちゃけ楽器をジャンルごと、環境ごとに変えてしまうというのもあるし、即効性もあるが自分のポリーシー、流儀に反するので常に同じ楽器で演奏する。自分の選ぶ楽器はやマウスピースが最もスタンダードなもの、セッティングにしていることの成せる業とも言えよう。何かに特化したものは往々にして他の部分が欠落しがちだと思うので。色んなことをやりたいボクのような欲張りにとってはそれが正しい選択だと思う。


実際リハーサルを重ねていくことで、かなりいい感じになっているのでツアーでの演奏の方向性はこれで。

という自分にとっての備忘録でした。

色んなジャンルで演奏したいトロンボーンの方、ご参考までに。


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2011年02月13日

ことば

ことばって時代時代で変化していると常々感じていて特に日本人として生まれた者として母国語である日本語の変化にはやはり色んな思いがある。その時代の風潮、風俗、概念でことばが変化するのは当たり前なことで、それに関して肯定も否定もしない。ことばも生き物だと思うから。

しかし今日、ふと思ったのが我々世代があと15年も経ったら自他ともに認めざるを得ない「年寄り」になるわけで、その時ボクは「ちゃりんこ」とか「マジ」とか「チャラい」とかの単語を間違いなく使うだろうから、ボクが今持っている「年寄り」像とは若干ニュアンスが変わってくるだろう。

というか、これからどんどん老齢化社会へと加速していく中、年齢的に見れば確かにそうだが近年になって肉体的、精神的ともに年齢的に「老人」と言われている世代は昔に比べて「老い」へのスピードの度合いがかなり緩やかになっているから、これからあまり世代という括りが緩くなるような気がする。それが良いことなのか良くないことなのかはわからないし、良いこともあれば良くないこともあるだろう。

まぁ、15年も経ったら既に「マジ」とかって単語がかなり古いものになっていて、あたらな造語が沢山蔓延していることでしょう。

奇麗な響きのことばはちゃんと遺していきたいから普段からちゃんと使うようにしようと思った。どうも情緒を感じるもの、奥ゆかしいもの、間接的な表現のもの、含みのある表現に使われることばがどんどん無くなっていっているような気がした。省略化、簡略化が進んでいるということ?

確かにことばは「符号」という役割はあるものの、もともとはその成り立ちの為の深い理由があったはず。

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2011年02月07日

デスクトップ

ボクの使っているPC2台ともデスクトップにフォルダや書類が散乱している。去年10月に作成したものも整理せずにデスクトップに置きっぱなしだ。新しい作業が非常にやりづらい。これらデスクトップ上にあるものなど10分もあればきちんと本来のところに格納出来るのにやらない。散らかりっぱなし。これは部屋の中が散らかっているのと同じように本人の精神的な部分と大いにシンクロしていると言えなくもない。とりあえず明日にでもデスクトップの整理をしようと思う。

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2011年01月30日

使い分け

引き続きクラシック曲をさらう。いつもしているように練習を録音しては、それをプレイバック。これは、あくまで持論だけれどトロンボーンにおいてはジャンルは違えど音色や音質に関して、理想的な音はかなり共通項があるとう。明らかに異なるのはフレージング。(特にリズムのアプローチ)それが大きく起因するのはタンギング。これは言語のそれとかなり似ているような気がする。つまり、それぞれのジャンルの音楽を演奏する為にはそれなりの発音や言語を理解するのが最もマスターするための近道だということ。そして、それらは相反することでないということも。つまり言葉におけるバイリンガルのように音楽のジャンル間においてもちゃんと行き来が出来るとハズ。バイリンガルの人は無意識で相手の言語に合わせて言葉を選ぶことが出来る。それは音楽に関しても同様なハズだと思う。

いわゆる帰国子女や異国の地で幼少を過ごした人は比較的スムーズに母国語と居住国の言語両方習得する。それは幼少期という脳が極めてフレッシュな時期であるからで、成人になって新たな言語を学ぶのは結構大変。その為には、キチンと勉強して理解したり、その言語圏に身を投じるかして環境作りをするのが効果的なのは旧知の事実。これもまさしく音楽のジャンルを跨いて演奏を楽しむ為のマナーにもそのまま当てはまることだと思う。

だから好きだと言って沢山聴いているからといっても、そのマナー、ルールを理解していないとなかなか模倣の域を出ないとも思う。

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2011年01月28日

価値観

毎日マスコミで取り上げている芸能ニュースや政治問題って客観的に見ておかしいことだらけだと思うけれども、芸能界や政界というある意味特殊な世界は明らかに一般人の世界とは違うわけだから、最終的には別世界に関しては想像の域を出ないのだと思う。それぞれの世界にはそれぞれの常識や価値観があるわけだから異なる世界においては真逆な基準になっていてもおかしくない。だからこそ、いつまで経っても戦争が無くならない。でもそれぞれが違った価値観を持つからこそ、芸術の分野は面白かったりして。大きな括りで文化は多種あった方が面白い。

他者と交わりを持つことで一つの共通の価値観が生まれてくることが良かったり悪かったり。

結果的に思考や物事の平均化が起こる。それも良かったり悪かったり。

結果的にどういう行動に出ようとも、常にそこには自分の意志を伴わないと。

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2011年01月19日

情報過多

今年7/24に地上アナログ放送が廃止だという案内が常に私のテレビ画面下に表示されて若干煩わしい今日この頃。つまり未だ地上アナログ放送を見ているわけだが、先日じっくり地上デジタル放送を見る機会があった。画像がとにかく鮮明で建造物や景色を見るには非常にいいと思った反面、女優さんの荒れた肌状態や、それを隠すためにしているファンデーションの下からシミが見えたりして、かなり気の毒な感じ。ある意味、デジタル放送は女優の敵かも。ここまでディテイルを見せる必要性はない。画面がクリア過ぎて目も疲れやすいし。つまり情報過多なんだと思う。色んな意味でアナログのファジーで緩い方が好み。これは音楽もそう。
確かにデジタル放送はデータ関係での利便性も高いし音楽に関しても管理が楽だから、その恩恵は随分授かっているのだけど。(今や歌唱や演奏の能力がヘタな人にとってデジタルレコーディングは救世主だし必要性不可欠なものになった。)

いずれはデジタルをよりアナログっぽくする為の処理方が流行ったりして。

デジタルが皆の夢を壊すことになりませんように。


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2011年01月10日

成人の日

27年前の成人の日、当時の自分は大学二年生。当日は成人式も出ずにその日も朝から夕方までバイトをして、夜はバンドのリハーサルをしていた。よって成人の日を迎えることで大人になった自覚などまるでなかった。大人になったと実感したのは、やはり親からの扶養がなくなった時だったと思う。つま り、物質的、精神的自立が出来た時。だからある面においては今年の干支である卯年47歳のいいオトナが大人に成り切れていない部分も未だ多数。2回目の成人の日を迎えた頃はそれどころではなかったけど3回目の成人の日を迎える頃は自分はどうなっているのだろうと、成人の日の今日にふと思う。

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2010年12月22日

センス

音楽を楽器で奏でて自己表現する場合、演奏のスキル、音楽に対する知識、楽器に関する知識は必須だけどそれと同じ位「センス」って大事な事だと思う。「勘」もその類いだとも言える。どんなジャンルにおいてもそこそこオールラウンドに粉せるのは、いわゆるセンスがいい、勘がいいということなのだろう。
よく「センス」を磨くなんていう言い回しがあるけども、実はセンスに関してはかなり先天性のもののような気がする。センスは学習で身につけるものではなく、非常に感覚的なものではないだろうか?

テクニックバリバリだけど魅力のない演奏なんてのは結構沢山巷ではお見受けするが、それはまさにセンスがないということなのかも知れない。つまりスキルとセンスは別次元のもの。

とは言え磨けるものは磨いておきたい。

何を今更って内容だが、何となくそんなことを思った2010年冬至の夜。

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2010年12月12日

オリジナルのすごさ。

先日、クインシージョーンズ編曲のヘンリーマンシーニ作品集のCDを聴いた。
どちらもアメリカの優れた作編曲家で、アメリカの華やかな時代を象徴したゴージャスサウンドを作るのが得意だ。どちらも大好きな作編曲家なのだけれども、この音源は自分にとって響くものではなかった。ヘンリーマンシーニの作品をクインシー色にクインシーが染めていないのだ。何故この作品を作ることになったのか、その経緯を知りたい。

彼らのように作品を日常的に量産するタイプはレコーディングミュージシャンも比較的固定メンバーだったりすることが多い。それは彼らのサウンドは最終的に彼らのスコアを演奏家するプレイヤーに委ねられることになる。そう言った意味で本作もクインシーのブレインのミュージシャンが参加している。しかしクインシーサウンドというよりヘンリーマンシーニサウンドを周到したサウンドには馴染まない感じがした。(もちろん、これはあくまでも私の主観)

作曲家が優れた編曲家でもある人の作品をカバーする場合はある意味、オリジナルの対極を目指さないとオリジナルを越えられないのかも知れない。それはクインシーをもってしてもだ。

バートバカラックの作品をカバーするのも同様だ。

私はヘンリーマンシーニもバートバカラックも彼ら自身が編曲家し演奏しているテイクが一番好き。

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2010年11月30日

チャンス

ここ数年間若いプロ演奏家及びプロ予備軍の子達と接触することが多い。そしてかなり高い確率で感じるのは音楽家としてのスキル向上、仕事での環境改善などの絶好の「チャンス」を逃しているような感じ。いい球が来てもそれを打たないこともあったりするので端から見ていて勿体ないと思う。かといって第三者が、それを相談もされないのに「打て」とはいう義理もない。

チャンスは誰にでも均等に与えられると思う。要するにそれに気づかないか、もしくは気づいてもそれを活かすだけの実力が備わってない為にチャンスを掴めないのだと思う。そんな連続なので自ずと個々の結果の開きが出るのだと思う。

一つ一つの積み重ねでしかない。

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2010年11月18日

音楽する行為は日常的なもの

スポーツ選手は毎日のトレーニングが欠かせないようだ。一日でもそれを怠ると、それを取り戻すのが大変らしい。それは我々、金管楽器奏者然り。実際プロを志してから今日に至るまで楽器を吹かなかったのは海外へ移動する際の飛行機泊の時位なもので、休みの日であっても常に楽器が吹ける環境を持つことを念頭においている。

それが負担かと言えばそんな事はない。毎日、就寝前に行なっている腹筋や腕立て伏せみたいなもの。いや、それ以上に日常的なものかもしれない。つまり毎朝顔を洗ったり歯磨きするようなものかな。

たまには気分転換に休みの時位、楽器を吹くのも休めばいいのにという周囲の声を聞くよしもない。

また休暇中だからこそ、音楽に溢れた空間に居るようにしている位だし。

単純に楽器も音楽も大好きってことだね。

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2010年11月17日

曲を色んなやり方で魅力を引き出すこと。

昨日のライブの余韻がまだ僕のカラダに残っている。UK発信のBlue Eyed Soulの代表格と言うイメージは、タイトでしなやかでうねるベース、グルーヴィに刻むエレキギター、それらを包むエレキピアノのPad、豪華なストリングス、ホーンセクションによる分厚いトラックに象徴される。
しかし昨日はアコースティックピアノ、アコースティックギター、アコースティックベース、パーカッション、コーラス、フリューゲルホーン、そしてボーカルというアコースティック且つシンプルな薄い編成。
作編曲を一手に担っているアンディのリアレンジが、この編成を逆手にとって非常に新しいサウンドデザインを要所に散りばめていたのが印象的だった。
単なる原曲のアレンジをなぞっているわけではないので、この編成で物足りなさは一切感じなかった。寧ろ楽曲の良さを別の角度から垣間見ることが出来た。

それはアンディの作る曲自体のクオリティが高いからに他ならない。優れた曲はどんなアレンジでも耐えうるだけのポテンシャルを持っていると言うことだ。

今回の彼らの来日ライブはいわゆる来日用の営業のイージーさは全くなく、常にサウンドに対して貪欲で挑戦的なアンディのモチベーションが伝わるものだった。もちろんオーディエンスが充分満足度するだけの素晴らしいコリーンの歌、ステージパフォーマンスも特筆に価すると思った。


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2010年11月03日

Booking

昨日のライブも大盛況でした。実はこのトリオは苦肉の策として急遽組んだトリオでした。というのも今月に行われたピットイン2Daysが決まったあとにオーケストラや他の自分のバンドのメンバーのスケジュールをあたったところ調整出来ず何かセッションを組もうということになり、たまたまギタリストやキーボードプレイヤーのスケジュールが合わなかったのでいっそのことコードレスでやってしまえということでした。しかし怪我の功名でコードレスであることの面白さが十分発揮出来るメンバーだったこともあり、2回目のライブにしてセッションからバンドへとなりました。これこそメンバー人選の勝利だと思います。ピットインのときも昨日も楽屋では次回はこんなことをやってみたいというような、このトリオにおける前向きな意見が3人から出ているので、これはかなり面白くなっていく予感がします。それはピットイン2Daysの別の日に行った、三好サンキチ功郎くん(gt)、一本茂樹くん(bs)とのトリオも同様です。なのでいきなりトリオが2つパーマネントになってしまいました!(笑)

近年、加速度的にライブハウスのスケジュールブッキングが早くなっています。3、4ヶ月先のブッキングはそんなにめずらしいことではありません。これはバンマスとって悩ましい状況でもあります。メンバーを3、4ヶ月先のライブスケジュールをおさえることはなかなか心情的に難しいからです。というのは、ボクと一緒に演奏してくれている人たちはライブハウスでのお仕事がメインでなく、それゆえライブハウスで生計を立てているわけでもなく、アーティストのツアーサポートが大きな収入源になっているケースが多いため、そちらのスケジュールを優先すべきだとバンマスの立場としては考えるわけです。つまり、先にライブがツアー仕事のスケジュールに1日でも被っていたりすると、基本的にツアーは全行程参加なのでツアー丸ごと受けることが出来なくなるので収入源としてのダメージが大きいです。なので最近ではライブハウスでのギグのメンバーへのスケジュール打診を遅くせざるをえない状態です。でもそれがいいこともあって、SolidBrassなんかは寧ろメンバーが全員揃いやすかったりします。が、ライブハウスのスケジュールがとれない。なかなか難しい問題ではあるが、こういったジレンマは自分も含めフリーランスのミュージシャンにとって一生続く問題だと思います。

30歳を境に20バンド近く参加していたサイドメンとしてのライブを止め、自分のソロプロジェクトを中心にやってきていて、特にここ数年前まではどうしてもレコーディング中心の生活をしていたが、ここにきてライブで自分のやりたいことが沢山あるためにソロのライブを増やしてきました。これは自分の音楽的欲求における精神衛生が極めて良いのです。


音楽業界もご多分に漏れず景気が悪くソフトの売り上げが壊滅的に悪いです。結局はライブでの実演こそがもっともリアルでダイレクトだとも思うけれども、この現場であるライブハウスでの集客が曜日、アーティストに関係なく軒並み不振だと行く先々のお店で耳にします。アーティストにとって、このライブハウスこそが最後の砦だとも言えるかも知れないですね。

ライブハウスでのライブが自分の活動時間のメインではないけれども、精神的には自分のメインになっている感じです。それ中心に演奏スキルの調整を行っているのも事実だからです。

11月2日にして自分名義のライブは今月終了です。12月は大所帯のバンド2つのライブがあります。バランス悪い。(笑)

とにかく沢山の方に自分の演奏や曲を生で目の前で聴いていただきたい。ただただそんな一心です。

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2010年10月30日

感じたこと、思いを音に表現する

「感じたこと、思いを音に表現する」
それが一番ボクが音楽に携わっていて第一に考えていること。
感じたことを「音」として具現化する為には「アイディア」とそれを表現する為の道具である楽器を「操る為のスキル」が不可欠で、そのどちらも欠けてはいけない。
道具を操る為のスキル向上に関しては前人が沢山のヒントを残してくれているのである程度常識に即したメソッドを追いかければそれなりになる。もちろんアイディアも然りではあるが、それでだけでは自分のオリジナリティを作ることが出来ない。だからこそ常にアタマを柔らかく自由で多面的な発想が必要だ。

そんなことは重々承知しているにも関わらず実際に自分の演奏を録音してプレイバックしてみると「整える」ということが「アイディア」を盛り込むということより勝っている感がある。
誰もまだあまりトライしていないようなアプローチのアイディアがあるのだけれど、それがまだ誰もやっていないが故に「整いにくい」「カタチになりにくい」というのも本当だ。これではイカン。もっと積極的に自分の中に既にある無数のアイディアを音として常に盛り込まなければ。

「感じたこと、思いを音に表現する」のであって、誰かがやっていたり、やっているスタイルを追いかけたり真似をしても自分は楽しくないのだ。スタイルの模倣止まりでは自分は満足しないのだ。


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2010年10月26日

集中力

昨日一昨日のライブは自分にとって、新たな可能性を自分の音楽の中に垣間見ることが出来た。それは勿論共演者のおかげに他ならない。共演者の自分のオリジナル曲に対する理解力の速さと深さはスゴイ。それは長年培ってきたものと、演奏時に於ける集中力が並ではないということ。

長年培って構築される知識はそれなりに誰でも努力すれば養われると思うが集中力に関しては、これは先天的な素質なのかも知れない。
しかも、この何かに対して取り組んでいる時にそれに対して集中しているかどうかは当人には自覚出来ず、逆に傍観者にはハッキリわかってしまうという怖さがある。

集中するってことは意識的に出来ることではなく、むしろ無意識に働くもの。取り組む内容が当人にとって楽しいこと、得意なものほど無意識に集中出来る。それがヒント。

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2010年10月08日

ライブ終了後の雑感

先日6日に行われた江古田BuddyでのTwelveSenseのライブは盛会の中、無事に終わることが出来ました。
沢山のお客様にお越しいただき感謝いたします。
客席には在京オーケストラプレイヤーの方が多数いらっしゃり、身も引き締まる思いで演奏いたしました。
この団体でのライブハウスでの演奏は去年行ったホールコンサートとは色々異なる部分も多く初めてライブハウスで演奏するメンバーが殆どの中、あまり混乱も無く演奏出来たと思います。
ライブハウスはホールと違い、客席と演奏者との距離が近いということで非常に演奏者の、そしてお客様の空気感がダイレクトに双方に伝わります。
これは非常に貴重な経験になると思います。

音楽監修という立場で全体を見渡した時に、この団体の良さ、改善すべき点が非常にクリアに見えてきます。今回の収穫は、やはり自分以外のメンバーが編曲、作曲をしてきたことだと思います。そして新たなメンバーとして田中さんが入ったことで年齢層が広がったことだと思います。それはファミリー化することではなく、年齢、キャリア関係無しに「出ている音」が全てであるという意識を持つ為には良いきっかけになるのではと思っています。

実際、色んなメンバーが参加するということで個々のモチベーションの差を感じてしますが、それはある意味当たり前のことであって仕方ないことだと思います。ただ、今後もこの団体で演奏するということで個々がそれぞれのそこに所属することのメリットを追求すればいいと思います。したがって、この場でメリットを感じなければ遠慮なく辞めることを薦めます。私はまだまだここでやりたいことが沢山あるので当分参加してみたいと思います。つまり、なんとなく「参加する」ということは全く音楽性、社会性を高める意味では「無」なのかと思います。それは、この団体が「仕事」ではなく「自発的」に行っているものだからです。
この団体の中核を成す30歳手前のフリーランスのメンバーはこれから益々、色んな意味で焦りが出てくると思います。だからこそ、自分にもっと厳しくして欲しいし、この団体を中途半端でなく積極的に自分の為に利用して欲しいと思います。

こんなに可能性を秘めた編成、団体はなかなかないので継続していければ幸いです。

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2010年09月18日

孤独

mixiニュースが情報ソースなのでどこまで真実で虚実かわかないけど、有名な芸人さんの無期限活動休止の理由をある意味、面白可笑しく記者が書いてあってけど、ボクは個人の意見として推察ではなく一般論として捉えるならば、

がむしゃらに頑張って、それなりに評価されればされるほど孤独になって不安になる。
だから走り続けるしかない。走ることでその不安から逃れようとした。
でも肉体がそれに追い付かなくなった。

上り詰めて、それを維持できる人はきっとどこか壊れてる人なんだと思う。

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2010年09月10日

変化

これだけ世界的に異常気象だと音楽にも影響するだろう。その土地の気候がその土地の音楽の成り立ち、スタイルに大きく影響することは民族音楽を聴けば一目瞭然だ。
日本が今後益々温暖化がエスカレートして亜熱帯のような気候が定着してしたとしたら一体どんな音楽が出来て根付くのだろう?

posted by YM at 10:40| 東京 ☀| 思ふこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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